fc2ブログ

    日本侵略と信長さんのこと

    2024年02月28日
    日本の面影 Glimpses of Japan 0
     縄文が終わったのは、大陸からの勢力に侵攻されたからだ。
     この説は以前からあり、私もその説には概ね そうだったろうなと思っています。


    【かつて欧米は日本の植民地化を試みた?論外!】列強国が「資源もなく、
    地政学的に重要でもない日本に侵略しようとした」と本気で思ってるなら、
    かなり思考程度ヤバい!-masakazu kaji- 20240227


     織田信長は、第六天魔王と自ら呼称したり、比叡山や一向一揆への徹底壊滅戦などから、逆らうものは徹底的に皆殺しにするという印象が強いですが、文献を読むと、曲がったことが大嫌いでありながら、非を認めたら許すという懐の広い人物だったと想像されます。 当時の比叡山は御存知の通り、僧侶としての勤行がおざなりになり、世俗的な利権や金権まみれ、僧兵などという武装まで始めていたので、曲がったことが大嫌いな信長としては無視できなかったことは想像に固くありません。 本願寺派一向一揆に関しても同じです。 最初に信長に牙を向いたのは本願寺であったことも忘れてはいけません。

     また、信長は同じ人に何度も裏切られるという特徴があります。
     逆に言うと、何度か許しているわけです。
     松永久秀という人は2度信長を裏切りましたが、2度共に許されています。
     後に織田家筆頭家老となる柴田勝家にしても、元は信長の弟:信勝を主君にすべきと主張していた人物です。

     信長は謀反の噂が耳に入ると、不満があるなら遠慮なくいいなさい という旨の手紙を送ったりもしています。 また、実力主義、成果主義で家臣を評価するという面が強く、ここでプレッシャーを強く感じる家臣もいたと思いますし、実際に戦果を挙げない佐久間信盛に対しては痛烈なまでの十九箇条ダメ出し書簡を送り、とにかく敵を攻めて帰参するか討ち死にしてはどうかとも述べています。


     私は愛知県在住時に信長のことをたくさん調べましたが、それまでは短気で残忍で凶悪、独裁的なイメージがありました。 ただ、不思議なことに、小中高と歴史を学んでいた頃から、信長には親近感を感じていました。 ここにイメージとのギャップがあり、本当はどんな人だったのかと、とても興味関心が湧いていました。
     
     信長に関しては、当時の将軍:足利義昭 室町幕府15代将軍 に提出した
     十七箇条の諌言 が興味深く、この内容からすると、信長自身も世間の評判や他者からの評価というものに大変気を配っていたのではないかとも思えます。

     イエズス会宣教師:ルイス・フロイスは、信長の死後、「気質は関大で策略に長け、生来の智慧を備えており、絶えず日本人の心を掴んでいた」と記していたようです。



    【関連】
    ・義昭や信盛へのダメ出しは実際どう書かれた? 書籍『信長の古文書』
     2023/04/05 武将ジャパン
     https://bushoojapan.com/bushoo/oda/2023/04/05/97660

    ブログランキング・にほんブログ村へ

    関連記事
    スポンサーサイト



    とみたや
    Admin: とみたや
    ご訪問、ありがとうございます。
    日々の生活が、その場にプラスマイナスの場を生み出します。心穏やかに、反省と修正の時間を持ちたいです。

    Comments 0

    There are no comments yet.