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自分との対話

印象的な言葉から


このブログで言っていることは、自分自身と対話することが大事という、この一点だけです。

今回は長文になります。


外ばかり見て、内を見ない人は、足元を見ずに歩く人のように、小さな石にすら躓きます。

そして躓いたことを石のせいにして猛烈に批判したり、悪口を言ったり、罵倒したり、こんな所に石が在るのが悪いと言っては蹴飛ばしたり(→暴力)するのです。

外しか見ないので、他人のことはたくさん見えます。

自分と他人を比べやすくなります

自分は恵まれていないとか、あの人は恵まれているとか言うのです。

隣の芝生は青く見えるので、外ばかり見ている人は常に不平不満が生じてきます。

石 コケる 躓く 転倒 転ぶ


現在、武漢新型コロナウィルスの影響で、外出を控えた生活を余儀なくされている人は多いと思います。
せっかくの外出自粛ですので、ご自身のと日ごろの言動を深く見つめ、自身の内面を見つめる機会にされるのも良いのかと思います。



人生とは、自分とどのように生きるのかということです。
親や兄弟、友だちや先輩、師匠など、生きているとたくさんの人たちとの関係を持ちますが、誰もあなた自身のには手出しができません。あなたのに手を加えることは、誰にもできないのです。


よき先輩に恵まれとしましましょう。
ても、それはあなたがそう思っているだけです。

その先輩は、いろいろ教えてくれたかもしれません。
あなたの気持ちに寄り添ってくれたかもしれません。
でも、突き詰めてみますと、先輩の言葉に耳を傾け、先輩の思いを感じようと受け止めた 「あなた」 がいたからこそなのです。
先輩はあなたの前に、言葉や行動、を置いていくことしかしなかったはずです。
その先輩は、あたなの身体に触れることはできますが、には指一本すら触れることはできなかったはずです。

言葉から学ぼうとするあなたがいたのです。
思いを汲もうとしたあなたがいたのです。
行なっている姿から学ぼうとしたあなたがいたのです。

すべては 「あなた」 という存在があったからこそ、先輩の言葉も、先輩の行動も、先輩の思いも生かされたのです。
あなたがそれらを生かしてきたのです。

自分という存在 (あなた) がいてくれてありがとう。




あなた自身が物事や思いを受け止める感覚の主体です。

このことをしっかりと捉えることができますと、
他者がどのような思いで喋っているのかが見えてきます。
他者がどのような思いで行動をしているのかが見えてきます。
なぜなら、あなたが、あなた自身のことを理解できるようになってくるからです。

あなたの言動が他者を生かし、その思いを汲みとって広げることができる主体、器なのです。


図1
自己中 対立 人間関係 比較 自分


死ぬその時まで、あなたはあなたの肉体と共に在ります。
死ぬその時まで、あなたはあなた自身と共に在るのです。

自分自身と過ごすことが下手な人ほど、外(他人、環境、境遇など) への依存が大きくなります。
すぐに他人に助けを求める。
すぐに社会のせいだと言う。
すぐに淋しくなって他者とのふれあいや会話を求める。 などです。

図1のようになります。

これは自分と他者を別のものとして捉えている心から生じます。
常に相対する別の孫座であるがゆえに、いくら求めても 自分 と 他人 という関係は距離とって存在ます。平行線です。
常に 与える もらう という矢印が均衡していないと不安になるのです。



それに対して、自分自身とい付き合うのが上手な人というのは、たとえ物理的に一人であっても、孤独や淋しさは感じにくいです。
自分自身というもう一人の自分がいるからです。
もう一人の自分と対話をするのです。
自分自身で、他者を生み出し、共に生きているとも言えます。図2のようになります。

他者との関係においても、自分と他人は同じ円周上に存在するので、自分 と 他人 という相対の世界ではないのです。同じ地平の上に存在しているのです。自他の区別がない状態に近いのです。
この意識では、物質的な距離を超越します。孤独による不安やさみしさは生じにくいのです。

図2
自我 人間関係 比較 


2つの図は、他人を「もう一人の自分」に置き換えることができますし、環境、境遇、立場、自然などにも置き換えられますが、いずれにしても、図1の意識では、→ ← の矢印どちらかが欠けたら、関係は即時に崩壊の危機を迎えます。心が崩壊しやすいということです。
図2では常に循環しているので、そもそも相手からの見返りを求めたりせずとも、自分の発したものが巡り返ってきます。心も関係も崩壊しません。安定しています。



基本的に、外に不満が生じるというのは、自分に不満がある状態だからです。

例えば自分自身がキライな人は、他人のこともキライです。本質的な意味では他人を好きにはなれません。
他人とは、自分の鏡だからです。図2に示すとおり、この世は本来自他の区別はないのです。

自分を好きになれない人が誰かを好きになることはありますが、いずれ好きではなくなります。自分が自分を好きではないからです。
自分がキライと思っている人が他人を好きになるというのは依存からのものです。他人に助けを求めている結果です。図1.
好きだと思って付き合っていても、自分がキライという思いが相手を通して自分に戻ってくるのです。図2.
自分自身を好きになれない思いは、巡り巡って自分に戻ってきます。この世的には、相手の中に、キライな部分が見えてきます。相手の中に見えるキライな部分は、本来自分自身がキライという問題ですが、多くの場合、相手の欠点・問題として認識され、愚痴や不満、怒りや憎しみなどに変換されます。
そして、自分がキライな状態を克服できない人は、相手が悪いと決めつけて別れることになりますが、新たな恋をして一緒になっても、自分のことが好きにならない限り、同じように別れの道をエンドレスに繰り返します。

不思議絵の階段


悪縁切りというのは、こうしたエンドレス状態から抜けることを言います。
もちろん、自分自身で気づき、切るしか方法はありません。誰もあなたの心に手出しはできないのです。


他者への不満や攻撃性は、自分が自分自身を生きれていない結果です。
そして不安や恐れの多くも、自分自身への信頼感や自信のなさが原因となっています。


自分自身を省みて、自分と上手に付き合える人となるのが良いと思います。
自分が見えると、他人のこともよく見えてくるようになります。

自他共にここに存在していることに感謝できる自分でありますように。

南無遍照金剛。




神々の光


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