赤ちゃんがお布施する お布施1
◆コロナウィルス関連メモ◆
ネットで検索している人にはおなじみの情報だと思いますが、私個人のメモとして貼っておきます。
湖北日報によると、武漢で昨年9/18に新型コロナウイルス発生を想定した防疫模擬軍事演習を実施。チャイナはその後、同じ武漢で10/18に行われた世界軍人運動会で米国がウイルスを持ち込んだと主張してますが、真実はその全く逆かも。 pic.twitter.com/g5GYCrQg6d
— take5 (@akasayiigaremus) March 27, 2020
・湖北日報 ~新型冠状病毒(新型コロナウィルス)~は2019年9月26日時点で確認されていた?
『湖北省人民政府のウェッブサイトに、去年の9月26日時点で「新型環状病毒(新型コロナウィルス)」に関する防疫訓練が行われたという記事が載っている。』
◆教育は未来の日本を担う人材育成の国家事業の大きな柱です。
自分の国に誇りを持てない教育を推進し、教科書検定の偏向をおこなう文科省に強く抗議する。
→文部科学省に関する御意見・お問合せ窓口案内
「従軍慰安婦」の呼称復活 中学校教科書検定 自虐色強まる傾向も https://t.co/5CqW3NNfEm @Sankei_newsより
— 山田宏 自民党参議院議員 (@yamazogaikuzo) March 24, 2020
昨今の一連の不祥事や改革への抵抗、そして自虐の過去への先祖返り。懲りない文科省は一度解体して出直すくらいでないとだめだ。近隣諸国条項の撤廃も安倍内閣の公約だったはず。
前回、新興宗教の特徴として
・お布施
・奉仕
・布教・伝道
の3つがあると書きました。
今回はお布施について考えてみます。

お布施というのは、分かりやすい言葉で言うと 寄付 のことです。
現代では、多くはおカネを差し上げることをイメージしますが、元々は他人に何かを施す(与える)こと を指します。
他者に何かを与えると言いますと、どのようなことを想像されますでしょうか?
仏教ではお布施の種類として3つが言われていますが、そのひとつが財施です。
注)仏教では三種の布施のことを三施といい、財施・法施・無畏(むい)施をいいます。
▼ 財 施
これは他者におカネや物品をあげることです。
時々、路上生活者(ホームレス)に炊き出しなどをされている人たちがおりますが、これは立派な施しです。
炊き出しは、災害後の支援としても実施されましたので、テレビなどでも見たかもしれません。
また、今はほとんど目にしませんが、僧侶が托鉢をしていることもあります。托鉢僧にお米やおカネを差し上げることも財施です。
貧しい人たちに衣服を支援したり、食糧を支援することも財施です。
▼ 法 施
仏教では他に法施というのがあり、これは仏の教えを説くことだそうです。
仏の教えを説くなどは高尚過ぎて、私たち凡人には敷居が高いと思います。
ただ、考え方によっては、子どもに何かを教えることも法施であると私は思います。
幼い子ども、学童期の子どもに施す学校教育や家庭教育です。
この世のルールや人としての道徳心を伝えることです。
例えば、日本旅行に来た外国人が財布を落した時に交番などに行くと、中身を抜かれたりせずそのままの状態で手元に戻ってきて驚嘆される事例は多いです。実は私も昨年財布を落としたのですが、預かり所に問い合わせるときちんと届けられていて、中身もそのままの状態で手元に返ってきて本当にありがたい思いをしました。
これは日本人の性根の素直さ、家庭や学校での道徳心の教えなどが、非常に高い水準で施されている証拠であり、日本人が今後も大事にして欲しい心です。
何かを伝えること、教えてあげること・・・相手は子どもに限りません。
大人になっても、知らないことはたくさんありますので、それらのことを教えてあげる事も立派な法施ではないでしょうか。
お布施とは、何かを与える行為ですが、さらに大事な部分は、「与える」という行為に至る「思い(心)」ではないでしょうか。
例えば小さな子どもがお腹空いたと言った時に、めんどくせぇな、ほらよっとビスケットを投げることも、一応はお布施です。
でも、 「あぁ、お腹がすいたのか。これでもお食べ」と、しゃがんで子どもにビスケットを手渡しすることもお布施です。
この両者は 「子どもにビスケットをあげた」 というお布施をしたことは同じですが、その時の心と行動には大きな違いがあります。
同じ施しであっても、その行為にはどういう心が込められているでしょうか?
行為は大事ですが、そこに誠心を込められていたら、更に素晴らしいと思います。
他者に与えるということですが、与えるためには、そもそも自分が持っていなければ与えることはできません。
他人に与えられるものは持っていないと思っている人がおりますが、私たちはこの世に生まれた瞬間からすでに与えるものを持っています。
例えばまなざし。
例えば微笑み。
例えば動作。
私たちはこの世に生まれた瞬間から、神仏様のご加護や両親の愛など、多くのものを与えられて生まれてきました。
肉体と、そして自分自身という魂があるのです。生まれた時から与えられた状態ですので、すでに何かを「持っている」ことを忘れないで下さい。 与えられて生まれたのですから、すでにあなたは、他者に与えるものを持っているのです。
与えられていることに気づき、喜びと感謝を持てる者は幸いです。
気付いている者はますます与えられるであろう。
与えられていることに気づかず、不平不満や羨望や妬みに落ちるものは不幸です。
気付けぬ者はますます奪われ、持っているものすら取り去られるであろう。
宗教、信仰の根底には、まずは気付きが必要です。

赤ちゃんを見れば、よほどの変人でない限り「かわいいな」と思うでしょうし、自然と微笑みが湧いてきますね。
これは、大人が一方的に「かわいいと思っているから」ではなく、赤ちゃん自体が大人に何かを与えてくれているからです。
あかちゃんは、親が頑張って生んでくれたこと、この地上にご縁を下さった神仏様の計らいを知っています。自分が与えられたことへの喜びの内に在るのです。大人たちは、その喜びを分けてもらっていることに気づきましょう。そして大人たちは、赤ちゃんの喜びが悲しみに変わらないように守り育て、大人たちは言行心を反省、修正しながら共に在ろと努めるのがよろしいかと思います。
赤ちゃんはただそこに存在しているだけに見えますが、大人に愛情を湧かしめるだけの施しをしているということです。
大人をやさしい気持ちにするだけのものを、赤ちゃんはすでに持っていて、持っているだけでなく、それを大人に与えているのです。
赤ちゃんですら、お布施をしていると言えます。
転じて己自身を反省してみますと、どうでしょうか?
誰かに何かを与える生活をしているでしょうか?
つづきます。

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