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祈りに花を咲かせること ~調和~

日々雑感




祈りの中心には何を置くのがいいのか。
願いの中心には何を置くのがよいのか。

私たちは、自分のことを中心に置きがちです。

生きる主体が自分なので、自分のことをまずは考えるのは当たり前のことです。
それ自体は悪いことではありません。
ただ、それがすべてだと思ってしまうとそれは間違いです。

すべてのものはバランスが大事です。
距離感、調和とも言えます。



例えば我が子の受験の時。
親なら、我が子が合格することを望みますし、祈りもします。
でも、もしここで、「合格しますように!」という思いが強すぎますと、受験する子にとってはプレッシャーになるかもしれません。
強すぎる思いはバランスを崩すものです。
身体で言えば力んだ状態と言えます。
バランスを崩すことも、力むことも、すでに自然体ではありません。
ここに不調和が生じてきます。(下図) ↓ 

祈りの中心に自分の子


受験というのは『合格の椅子』を奪い合うことです。
我が子が合格の椅子に座るということは、
他の誰かが座れないということに他なりません。


「我が子が合格しますように」という願いは、他の子を強制的に排除します。
願う親本人は、他の子の不合格を意識していなくとも・・・です。

「わが子が合格しますように」という願いは、我が子の背中を押して中心に押し出すようなものです。
他の子との調和や、他の子やそのご両親への配慮はそこにはありません。
我が子の合格、我が子だけの幸福、我が子だけがしあわせならそれで良い・・・。



・・・そういえば私の身近で、不合格になった子の親が学校にクレームをしていたことがありました。教師の教え方が悪い、塾の先生の教え方が下手だったからだなど、勝手なこじつけや固執、妄執、妄想も生まれてきそうです。
強い思いは、物事を曲解し、あらぬ猜疑心、独占欲を発生させます。【参考→不合格の親


中心に置く思いが強くなりすぎると、そこには誰も近寄れなくなります。→排除
中心に置く思いが強くなりすぎると、周囲が見えなくなります。→盲目、視野狭窄


この図を描いて思ったのは、自分の事や自分の身内のこと、自分の都合のこと・・・
こういうものを中心に据えた思いがどれほど自己満足的で、自己都合で、自分中心的な、欲望にまみれたものであろうかということです。図の通り、自己中心的です。




そしてもうひとつ絵を描いてみました。
こちらの絵では、祈りの中心に「合格」を置かず、「100パーセントの力を出せますように」というものを置きました。全力で試験に当たれることを祈りました。


祈りの中心に据える 


中心に置くものを変えただけですが、
この場合、受験に臨む我が子に、絶対に合格しろよ!というプレッシャーを与えることはなさそうです。
合格か不合格かという『結果のみの世界』を超えた世界です。
『100パーセントの力を出せますように』という思いを中心に置くと、他の子どもたちやそのご両親たちが、その中心である思いの周りに集うことができます。→調和・配慮・おもいやり・分かち合い


この祈りから感じるのは、
我が子の力を信じること
子ども自身の力にすべてを委ねる気持ちです。
今までの我が子の努力がすべて報われるようにと祈るわけですから、『欲』からも離れた世界になりますので、神仏のご加護も加わる <すきま> も生まれそうです。
『人事を尽くして天命を待つ』ような自然体でいれる感じがします。





「合格しますように」という合格/不合格を中心に置いた場合は、中心に我が子(=自分のこと)を置こうとする必死さや自己中的な意志が感じられますし、図にすると、まさに『自己中』な姿が現れています。

一方で、「100%の力を出せますように」という祈りを中心に置いた場合は、
我が子を中心に置こうとしておりませんので、我が子が他の子どもたちと調和した距離感に収まっています。中心の思いからも皆が同じ距離感です。
これは、場が調和された状態といえます。

また、「100パーセントの力を出せますように」という思いには、我が子以外の他の子たちにも「あんたちも全力を出せるといいね」という、心のゆとりも感じられます。
なにより、結果の善し悪しを問うたり、他の誰とも闘わない状態になっているのが気持ちいいです。



蓮 不忍池


お気づきかも知れませんが、2枚の絵はお花をイメージして書いています。
中心と同じ距離感にもろもろのことを置いていくことで、きれいなお花が咲くのですが、中心に置く内容によって、お花の形はすぐに崩れてしまいます。
中心に何を置くのが良いかは、意外と難しいです。




祈りとは本来、他の生命と争ったり、傷つけたり、騙したり、罵ったり、相手の不幸を思ったり、自分に都合のいい結果を強要したりするものではありません。
調和や喜び、幸・・・しあわせを共有できるものが祈りであって欲しいです。
共に在れますように・・・という調和、平和、共存の思いです。



思いの中心に何を置けばこの場が調和するのか?
自分の思いを調和するには、どのような考えを中心に据えておくのがいいか?
これは個々人が日々の生活の中で実践し、会得していくほかありません。
無意識で生活していると、すべては無意識のうちに流れていきます。
細い棒でも竿させば、自ずから感じるものが生まれます。
感じたものを意識的に心のテーブルに乗せて研究するような気持ちは大切です。
このひと手間がなければ、お花の中心に何を置くのが最良なのかという試行錯誤にも至らないのです。


状況を見て、中心に何を置くのが良いのかを瞬時に感得できたのがお釈迦様やイエス様だったのかな・・・と思います。そのようになりたいなと思いました。

以上、何かお役に立てる内容だったら幸いです。

南無遍照金剛




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