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自転車、アート、カラフル、キレイが好き。切り折り紙探検隊。

Category: 心の言葉◆Words   Tags:  教育  育児  祈り  名前  所有  欲望  願望  期待  

所有欲からの命名

人には名前があります。

親が子どもに名前を付けるときに、占いをしてもらったり、辞書や古典からいい文字を探したりしますが、いずれにしても、親が子どもの幸せを祈って命名するのかと思います。

花 ユキヤナギ 雪柳 春


ただ、命名の時に、親の願いによけいな欲が込められていたなら、それは命名という名の呪縛や強制になるのかと思います。
もしかしたら呪いになるのかも知れません。
名前を使って子どもを使役することになるかもしれません。

・・・そういえば、「あくま」という名前を子どもに付けようとした事件がありました・・・。これは常軌を逸していると思いますが。



愛おしい我が子とはいえ、別の人格・魂ですから、そこに余計な 『縛り』 を科すことは避けた方がいいと思います。
例えば音楽が好きな子になって欲しいから奏太とか、みんなに愛されて欲しいから愛子とか・・・
文字面からは判断できませんが、もしそのような欲から命名するとしたら、それは親の願望や欲望、夢の押しつけにもなりかねません。その子の人生に、強制的にレールを敷くことになる可能性もあります。

現代人のように、名前に奇抜さを求める気持ちはどこから来るのでしょうか。
我が子は特別。
我が子に注目して欲しい。
もし仮にそのような気持ちがあるなら、それは純粋に子どもの幸せのためと言えるでしょうか。

赤ちゃん 赤ん坊 子ども 赤子


所有の問題は物質的なモノだけにとどまらず、思い (心、固執、持論、感覚・・・等) にも当てはまります。
お釈迦様もイエス様も、あらゆる所有から離れる道を指し示されておりますので、
そういう意味では名前すら所有欲の対象かと思います。
そして、親が子どもを命名する以上、その所有欲を昇華する問題は、その子どもではなく親の課題であります。




言葉を超えた世界では、存在自体がストレートに認識されるでしょうから、そこに名前すら不要となるでしょう。
存在自体がダイレクトに伝わる世界では識別記号・名前など不要です。


これらを考えてみると、昔の名付け方の例として、
一郎、二郎、三郎・・・などという古来日本での命名のあり方は、もしかしたら、名前が持つ悪しき所有の弊害をよく理解した上での命名の仕方だったのかと思えてきます。
つまり、一郎・二郎・三郎・・・という名前なら、親自身がもつ余計な期待や願望を子どもに押し付ける必要はなくなります。
我が子はかわいいものですが、その溺愛から離れる効果もあるかもしれません。
この感覚が生み出す効果はかなり大きいと思えます。
また、他の存在をフラットに見つめる行為なのかも知れません。


私が子どもの頃には、よその親が他人の子を叱るなど当たり前でした。
悪いことをすれば他人の子どもであっても大人たちは叱ったものです。
これもまた、存在をフラットに見る気持ち、我が子だけがかわいいという固執から離れたところの感覚からきているのかも知れません。
よその子も自分ちの子も同じという感覚。


・・・識別記号としての名前と、独占欲からの名前とでは、かなり大きな違いが生じるかと思います。


所有というのは手の中に握っている状態、堅持することです。
これは停滞を意味します。


宇宙


宇宙の法則は循環ですので、停滞は宇宙法則に抵抗することに繋がるという認識は必要かと思います。
留まる水は腐敗するのです。

命名にしても、あまりに名前に固執すると、それは親子共々に苦しみが生じるかもしれません。



南無遍照金剛

湧き水 水 湧水 


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