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ミニベロに乗ってポタリング♪アート、カラフル、キレイが好き。切り折り紙探検隊。

Category: 日々雑感   Tags:  教育  祈り    

心を 「こより」 にする作業

祈り


私は、百度という言葉が好きではありません。
嘘も百回言えば本当になるとか、真剣にそう思っている人もいるようですが、心根が知れます。
神社にもお百度参り言うのがあります。神社の境内に「百度」と刻まれた石柱があるのを見たことがある人がいるかもしれませんが、これも私は大嫌いです。私には「嘘も百回・・・」と同じ行為にしか見えません。
お百度参りというのは、本当にかなえたい願い事を願掛けする行為です。何度も神仏に願をかけるという行為は、強訴しているようにしか私には見えないのです。これは悪く言うと、自分の欲望を、思った通りになるように数の力で押し通すことと思っています。
もしあなたに、何度も何度も同じことを訴えかけてくる人がいたなら、あなたはその人をどう思うでしょうか?

もしあなたが神だとしたら、真摯な願い、慈愛に満ちた光ある願いであるなら、それはすぐに叶えてあげたいと思うはずです。そういう願い事ならば、百度参りなどぜずとも一度のお参りで願いを聞き入れてあげようと思うのではないでしょうか?

ハスの花

本当にかなえたい切実な願いなら、一度のお参りに全神経、思いのすべてを込めればいいのではないでしょうか?
何度も願掛けしないとかなえられないような願いならば、それは薄っぺらなものかもしれません。自身の我欲や見栄、体裁、利権など・・・・そういうものが含まれているのかもしれません。

一所懸命に、ひとつところに意識と思いを集中して、自分の我や欲望、本当は必要でない思いを排除して、まことの願い(一所)に懸命になることは大切と思います。


・・・思いを研ぎ澄ませることはこよりに似ていると思います。
一枚の紙は、意識が散逸して芯がなく、自分でも自分のことを把握できていない混沌とした意識です。ペラペラで周囲の風に翻弄されて自立心がありません。
そこから上っ面の肉体的な欲望や見栄、泥のついた願いを内観していると、自分の本当の思いに気づいてきます。紙をこよる作業です。
自分の本当の心の姿に気づけたならば、修正すべき個所は修正し、余計なものは捨てて、心を練ることが大切です。
こうして心をこより、一枚の紙がこよりとしてピンと立つ状態にまで持ってきたとき、心の芯ができたと言えると思います。
心をこよってできた想いを神仏に向けること。これが本当の祈り、願いごとと私は思っています。




ペラペラの紙のままでは、真の自分が自立できません。
こよりを作る作業を経て、初めて自分自身の欲まみれの状態や現状が見えてきます。
そうした状態が見えてこそ、修正すべき箇所も見えてきます。
そこに至らない内は、いつまで経っても「迷える子羊」です。

私たちは肉によって生きているのではありません。
肉を通して学習する思い、心によって生きております。


佳き光と共に在れますように。
南無遍照金剛。

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