土間は竪穴式住居の遺伝子

このブログを書き始めた当初、土間は縄文時代の名残ということを紹介しました。
【・関連記事:土間からタイムマシンへ】
竪穴式住居での暮らしについて書いたものがありました。→縄文時代の“竪穴住居”を知れば、火と水、土との暮らしかたが見えてくる。

日本の家屋文化というのは土間に板の間を加え、さらに畳を追加するという形で発展しました。
土間は、高度経済成長が本格化するまで、日本家屋では重要な位置づけでした。
昔の民家ではどまの一角が炊事場でした。
燃えず腐らず、火や水を使うには、土間は都合がよかったです。
昔はガスコンロなどありませんでした。煮炊きする為にへっつい【かまど】が設置されていました。
実際にへっついに羽釜で煮炊きしているのを私は見て知っております。

父方の福島の家では玄関から広い土間が広がっており、炊事場と五右衛門風呂が土間の一角に設置されていました。
土間は屋内にありながら、屋外と同じような感覚で使えるので、かなり便利なものです。
住宅メーカーでは土間を復活させたシリーズも展開されていますが、現代はタイル張りであったりコンクリートを打ったりしたものが多いようです。

話は剃れますが、軍艦島は集合住宅のさきがけ的な存在で、さまざまな工夫とデザイン性を兼ねそろえておりました。
今のマンションの原型は軍艦島の集合住宅といってもいいものです。(バカなちょーせんびと達が、軍艦島で奴隷扱いされたとか喚いていますが、バカのたわ言です。)
軍艦島に限らず、発掘される竪穴式住居、今も残る古民家の数々・・・そうした住宅の歴史を眺めてみると、そこで暮らしてきた人々の思いが少し感じられるかもしれません。
よき光と共に在れますように。
南無遍照金剛。
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