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歴史教育は親の生い立ちから ~北海道の伊達家~

日々雑感
ブログでは何度か書いていますが、歴史教育というのは、自分の生い立ちからはじまるものです。そして自分の両親のこと、祖父母、曽祖父母のこと・・・・・こうして辿っていくことが真の歴史教育となります。歴史教育は家庭がから始めるものであり、学校の授業などで教えるような性質のものではありません。
まして現代の歴史教育は歴史洗脳の部分が多く、下手に学校などで教わらない方がいいレベルです。発掘や文献で確認できるのはほんの表層的な歴史でしかありませんし、新たな発掘で書き換わってしまうものであるという認識は必要です。

米軍基地問題で何かと沖縄が騒がしいですが、南の沖縄よりひどい目にあっているのが北方領土です。北方領土は大東亜戦争末期のどさくさに紛れて分捕って以来、未だに日本には返還されていません。これは沖縄以上に重大な問題ですが、不思議なことにほとんど話題にすらされません。
私の母は樺太の生まれですので、北方領土の問題は私にとっては沖縄以上に身近な問題です。

・・・・・ロシアの侵攻の影響で、母の家族は内地:北海道に逃げ、そこで新たな生活を始めました。
母の家族が拠点にしたのは、北海道でも気候が穏やかで住みやすい現在の伊達市。家が建つまで、一時期バチラー教会に寝泊りをしたこともあると母は言っていました。
いずれにせよ、ほぼ何もない状態からの生活だったので、大変な苦労だったろうと想像します。
母の祖父はかなり頭が回ったようで、当時はまだ珍しいビニールハウスを利用した野菜栽培などを行なったようです。地域ではちょっとした発明家のような感じだったとの話を聞きました。
私が子供の頃は、母の実家では昆布の養殖などもしており、そのの昆布の養殖も母の父が本格的に始めたと聞かされています。

「海を渡った武士団」-噴火湾文化研究所HP-から引用です。↓

北海道の伊達は、独眼竜で有名な伊達政宗の流れをくむ亘理伊達家:伊達邦成【くにしげ】がこの地を開拓したことが由来とのことです。邦成は仙台藩亘理領の殿様でしたが、仙台藩が官軍に対する謀反の罪を問われ、実高112万石と言われた禄高が28万石に減らされ、亘理藩も2万3000石から玄米130俵に減ぜられ、家臣たちを養うことができなくなりました。 そうした中で、元家老:常磐新九郎【のち田村顕允】が、亘理伊達家家臣全員による蝦夷地移住開拓の計画を進言。邦成はこの計画を認め、常磐新九郎が上京。太政官小弁渡辺昇の計らいで開拓の請願が通り、明治2年8月25日、邦成に対して胆振国内有珠郡支配の辞令が発せられました。

肥沃で温暖な土地である「シュム・ウン・モンベツ」(アイヌ語で「まちの中央を流れる川」)を新天地に選定し、家臣一団となって開拓事業を開始。他の開拓地とくらべ気候風土の良さはありながらもその事業進展は一筋縄ではいきませんでした。 未開地であった原野を耕す事業に日々追われた他、アイヌと倭人のいさかいも多かったようです。



北海道伊達市
伊達観光協会
有珠善光寺・・・江戸の芝増上寺の末寺。
慈覚大師円仁・・・第3代天台座主。
バチラー夫妻記念教会堂
・有珠湾・・・白鳥の飛来地。
国史跡 北黄金貝塚・・・縄文時代早期(約7000年前)~中期頃(約4500年前)の遺跡群。
アイヌ民族博物館

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