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Category: 心の言葉◆Words   Tags:  因果応報      

宇宙の平等感

悪魔は神に駆逐されるが故に、悪魔どもにとって神々は《悪魔のような奴ら》である。
悪魔は誰しも嫌いだと思う。しかし何を信じるかによって、神々の側に立つか悪魔側に立つかが決まる。何が良くて何が悪いかはよくよく気をつけて日々を過ごさないと大変なことになる。

地球は宇宙の監獄だといっても、多くの方は信じないと思う。しかしこれは本当である。地球はいわば更生施設である。更生を促すために、宇宙の愛は偉人を遣わせてくれている。イエス様や仏陀様、日本の天皇様などがそうである。

「人は平等だ」「みんな一緒にいることが良いんだ」などと、さも人道的と思われることを言う人がいるが、人は生まれながらに前世までの業を背負って来るのである。生まれながらにそれぞれの業の昇華程度は違う以上、生まれながらに平等などではない。これを信じられるか信じられないかでは、既に大きな差があり、本来それらは分けねばならないのである。『差別』の本義はこれに近い。

前世からの徳や業。
例えば貧しい者に施して生きた人と、他人を騙して金を貪ってきた者が、次の人生で同じスタートラインに立てるなどとは都合が良すぎなの考えである。これは子どもでも理解できる当たり前の道理である。他人から貪った者には生まれながらにペナルティが課せられているのであり、施して生きた者は更に高いレベルへ登るための課題が与えられることになる。死ねばみなご破算になるなどという考えはあまりにも都合の良いバカの戯言なのであるが、バカは今さえよければと利権を貪ったり自爆したり他人を蹴落としたりミサイルをぶっ放したりするから始末が悪いのである。業は死のうが生まれ変わろうが、宇宙の果てに逃げようが、どこまても付いてくるのである。
因縁因果応報は宇宙の初等教育程度の当たり前の法である。自分で選んで自分で思い、自分で行った言行心の責任はすべて自分自身で乗り越え昇華していかねばならないのである。この因果応報は誰にも公平、平等である。死んでも業は消えないのである。

正義と叫びながら他人の命を奪う行為が果たして正義なのか?という事を、自爆したりテロをしたりする者たちはよく考えるべきである。考えもなしに他人を殺したりすると自分たちが讃えている神々を冒涜することになるのである。

そして利権に群がる者たちの多くはテロリストよりタチの悪い巨大犯罪であること思うべきである。このような巨大すぎる業は、己の死後や転生後にはあまりに負担が大きいので、この重荷を子孫や親族に分割負担させる事があるようである。あまりに巨大な業を背負った者に対する宇宙の慈悲であるが、自分以外の業を与えられれば子孫にとっては迷惑この上ないのである。そのことに思い至らないのが今の利権に群がるハイエナ役人共であり、よく考え改めてもらいたいものである。

そして『自殺』は他人を殺すより重罪であることを忘れてはいけない。
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