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ミニベロに乗ってポタリング♪アート、カラフル、キレイが好き。切り折り紙探検隊。

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よい無意識 あしき無意識

愛の実践というのは、自分の心、言葉、行動、これらを意識することからと書きました。

修正すべき箇所 (問題点、課題、反省点・・・)は、よく観察をしないことには気づくことすらできません。

意識をせずに、ただ日常を過ごしているなら、快不快、喜怒哀楽に翻弄されて、ただ状況に反応して生きているだけの人間になります。
周囲の言動や物事の動静に反射反応しているだけなのです。
そこには自分自身の信念や思考、よきものになろうとする意志などが存在しません。

誰しも日々の心、言葉、行動には、いくつも反省することがあると思います。
それを忙しいと言って放置することは、油を使ったフライパンをそのまま放置するのと同じことです。
使った調理道具は都度洗って拭いたり水気を切ったりするはずですが、心は使いっぱなしで良いでしょうか?
野ざらしの自転車も、時々は雨よごれや汚れを拭きとって、時々油をさしてメンテナンスが必要です。心も時々汚れを拭きとり、油を差すことは必要です。
汚れた衣類をそのまま着る人もいないでしょう。洗濯をするはずです。心も時々は洗濯が必要です。

Dragon


認知症になった方で、「会社ではいい上司だったのに・・・」 と言われる方がおります。
大変失礼なことを書きますが、果たしてその方は 「本当に」 いい人だったのでしょうか?
その方は同僚や部下とは向き合っていたかもしれませんが、果たして自分自身とは向き合えていたでしょうか。



日本には○○道というのがあります。
それぞれのやり方で、基礎的なことからいろいろと学ぶことができます。
学びは試行錯誤ですが、基本に従ってやっている内に、感覚が磨かれていきます。
意識的にしてやっていたことが、無意識にできるようになっていきます。
基本的なことがある程度無意識にできるようになってくると、そこに自分らしさを加えられるようになります。


人の心も同じです。

いい習慣は良い波動を生み、いい波動はいいものと繋がりやすいフィールドを形成します。
いい習慣というのは、無意識でもよいものと繋がる 心、言葉、行動のことです。

無関心という悪しき無意識ではなく、
よいものと繋がる無意識を磨くほうがいいのではないでしょうか。

千鳥ヶ淵夢譚


以前 もりしたさん というブログ記事を書きました。
飲食店のホール係をされていた方です。
とても動きが優雅で無駄がなく、それでいて気配りが行き届いた方でした。
その動きはまるでステージで踊るダンサーのようでした。
日々の自己点検をしっかりされていたものと思います。
   該当記事はこちらからどうぞ。 ←今読み返すと文章が下手で、優雅さまったく伝わらないですが・・・。


「無意識」にも、徹底的に意識をした先に得られる 無意識の世界
ただ無関心に過ごす、低く暗い無意識の世界 があります。


どちらを歩むのか、これもまた宇宙は個人の自由にお任せくださっております。
宇宙はどこまでも強制などしない、自由を謳歌せよという愛の世界です。
その愛にどう応えていくかは、ひとり一人の心次第です。

よき光と共にあれますように。
南無遍照金剛。

食事と祈り


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意識と無意識

先日は、なにごとも意識の下に引っ張り出さないことには改善はできないということを書きました。
例えば以前のブログエントリーで、自転車が突然車道に出てくる危険について書いたのですが、路側帯を走っている自転車なら、車からも見えるので、自転車の進行方向はある程度予測することができます。
しかし、自転車が歩道を走っている場合は、車から自転車は見えないので、そういう自転車が車道に出てくると事故になる可能性が極めて高くなります。こういう自転車運転をする人は自殺行為ですので、厳しく処罰するべきと思います。

関連ブログ記事→こちら


意識と無意識の話です。

認知症の最大の要因 と私が思っているのが、この意識のあり方です。
身の回りのことにどれくらい意識を払って生活をしているのかということ。

マザーテレサさんは、愛の対極にあるのは無関心だといいました。
無関心というのは無意識と同じです。
無関心、無意識でいるというのは、気にもかけないということです。
気にかけないというのは、「お前は存在しない」と言っているのと同じです。

例えば道を歩くにしても、私が見ている範囲では、意識をして歩いている人は極めて少なく見えます。歩くことに哲学というか、意思を感じません。
無意識に歩いている人は、突然立ち止まったり平気でします。
たたんだ長傘を手に持ち腕を振って階段を上ると、後ろの人を突いたりする危険があることに気が付きません。
歩きたばこをしていても、灰や煙が後ろの人にかかるという事にも気づけません。

桜 千鳥ヶ淵 青


自分の行動、言葉、態度、声のトーン・・・・これらにすべてに、常に意識を配るのは不可能ですが、時々点検することはとても大切です。
言葉、行動、気持ち → 言行心 を見直してみることを、一日のうちに数分でも持てると、自分の意識や感覚が次第に洗練されてきます。
今まで気づかなかったことに気づいたり、相手の気持ちを一層よく理解できたり。


まずは自分の気持ち、言葉、行動 によく注意を払ってあげてみましょう。
そうすると、自分がやったことなのに、自分でないような感覚になることもあります。
自身の気持ちや言葉、行動に関心を向けること。
それは自分自身への愛であるはずです。


よき光と主にあれますように。
南無遍照金剛。

神々の光



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日常でできる こころの修行

介護をしていると、人それぞれの感覚の違いを嫌というほど味わうことがあります。
着替えの介助一つにしても、できる限りその人にやってもらおうとする職員がおり、一方ですぐに介助して済ませる職員もいます。これは業務時間の兼ね合いも関係しますが、その職員の性格による部分もあります。
人の性格と、置かれた状況によって、その時の人の思いはコロコロ変化し、その場その場に順応しようとします。

当然ですが、その時の思いの状態によって、自身が作り出す環境の波動、フィールドが変わります。

言うまでもありませんが、最高のパフォーマンスが発揮されるのは、適度な緊張感に、少しのゆとりがある時です。
緊張が過ぎると心身がこわ張って動きが鈍くなりますし、気を緩めすぎると一瞬の判断が遅れます。時間に追われていると焦りが生じ、思わぬミスをしやすくなります。

どういう時に自分は切羽詰まるのか。どういう状況が苦手なのか。
日ごろからそういう自分自身を観察することで、対策は立てやすくなります。
そして、そういう観察を続けていると、自分自身の行動の基準がどういうものなのかが理解できます。
その基準は、果たして愛に基づいているのか、そうでないのか。
そこに気づき、修正することが心の修養ではないでしょうか。

春はかなき


生活即修行。

こころの点検材料は日常生活の中にごろごろ転がっています。
何事も意識することなしに修正はできません。
怒り、おごり、妬み、恨み、うらやみ、疑い、偽り、欲望・・・・そうしたマイナスの思いは、しっかりと意識して向き合うことでしか昇華できません。
喜びや楽しみも同じです。その喜びは、誰かと競って勝ったものではないでしょうか。もしそういう喜びなら、それは優越感というおごりかもしれません。誰かの悪口を言ってスッキリ爽快かもしれませんが、それは蔑みではないでしょうか。欲しかったものが手に入って嬉しいかもしれませんが、それは貪りや欲望にまみれていないでしょうか。


すぐにそういう思いを修正することができないかもしれませんが、まずは自分の意識の光の下に晒すことが大切です。
繰り返しますが、何事も意識することで軌道修正ができるのです。
無意識のうちはなにをやってもうまくいきません。暗闇にいるようなものです。

帰宅して携帯をポンと無意識に置いて、後でどこに置いたかわからなくなった・・・なんてことはないでしょうか。
携帯を置くときに「私は携帯をここに置いた」と意識をする。
これは立派な心の修行です。

佳き光と共に在れますように
南無遍照金剛

産屋炎上


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