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自転車、アート、カラフル、キレイが好き。切り折り紙探検隊。

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Category: 日々思うこと   Tags: 育児  教育  道徳  あの世  幽霊      地獄  極楽  

あの世と転生を信じない者

あまりに哀しく、そして腹の立つことがありました。

本題の前に、よく考えていただきたいことがあります。
自分自身とは何者であるか?ということです。あなたの本質は何ですか?と問うた場合、なんと答えるのでしょうか。
輪廻転生を信じない方は、なぜあなたが今生きていてるのですか?生きているあなたは何者ですか?死んで無になるなら、生きていることも無ですか?
魂というのはあなたの本質で滅びません。滅ぶとしたら神仏に見切りをつけられて処分される時です。しかし幸いなことに、地獄で反省してやり直す機会が与えられているのがこの宇宙です。今の地球人はこの、宇宙の幼稚園程度のことすら理解できないのです。いかに地球人類が退廃したかを物語っています。

宝蔵門


本題です。
死ぬ前に輪廻転生をしつこく話しをさせてもらった婆さんが亡くなりました。その数日後、私のところにやってきました。寒いから助けてくれと言うのです。寒いのは言うまでもなく地獄に落ちたからです。魂となって肉体という緩衝材がなくなり、極寒の地獄を味わっているのです。肉体が感情や感覚の緩衝材になっているのですが、死ぬと肉体がないのでダイレクトに伝わります。
その婆さんに私は「あなたには死後の世界のことや転生のことを散々話したじゃないか。でもあなたはそんなものはない。死んだら無になるんだと一向に耳を貸さなかったではないか。今更死後の世界を知っても後の祭りだが、死後の世界があることが分かったことはせめてもの救いだ」と伝えて叩き出しました。
冷たく暗い世界に落ちたことを哀しく思いましたし、同時に、自分の不勉強を棚に上げて助けてくれと言うことに腹が立ちました。

ともあれこの婆さんは、齢94歳の時にはまだ自分で歩くこともでき、会話も普通にできていた幸せな方でした。しかし彼女は「もう何もできないから死にたい。」「生きていても意味がない」とずっと嘆くばかりでした。寝たきりで動けない人が一生懸命に生きている姿を毎日目にしていたにも関わらずです。
私はこの婆さんの「昔はひと夜に4人も取り上げたのに、今は何もできない」といつも言っている事に腹が立っていました。助産婦だったようです。昔の栄光をいつまでも手放せないのは執着=業です。手放せないがゆえに今の老いた自分を見ることができずに死にたいだのもう何もできないと言うばかりで、実際何もせず何も考えないのです。お先真っ暗とはこういう状態かと思います。何を言っても聞く耳を持ちません。こういうのをバカと言います。バカは聞く耳がないのでバカと言います。聞く耳持たないバカに費やす時間ほど無駄なことはありません。一般的な人間関係においては、さっさと見切りを付けることも必要ですが、私のように、介護に携わる場合はそうもいきません。一番忍耐を要するところです。

歳老いたから何もできない?・・・ バカ言うなの世界です。
寝たきりでもケアワーカーに色々教えてくれたジジババ様を私は数多く知っています。寝たきりだけど、一生懸命に自分でスプーンを取って食べようとしているジジババ様も知っています。朝早くヨロヨロしながら町会のゴミを拾って歩いている爺さんも知っています。何もできないと言いながら、施設内のゴミ箱のゴミを袋にまとめてくれる婆さんもいました。廊下のごみを拾って歩くことを日課にしているジジイもいました。


宝蔵門


はっきり書きますが、死後の世界はもちろんのこと輪廻転生は宇宙の基本で、厳然としてあります。
死んだら無になるなどどこの馬鹿かと言いたいです。そんな思いしかないから殺したり、他人の金を毟り取ったり、欲に任せて好き放題したりできるのです。

年老いて何もできないなら、社会のためではなく、残された時間は自身のことを考えることも出来るはずです。今まで社会に尽くしたのだから自分のことに使えば良いはずです。今までの人生を内省することは、死後と来世の糧、肥しにもなりましょう。なにが社会のために何もできなくなったでしょうか。自分に甘えるのもいい加減にしろ。

・・・あの世や来世などないという無知、固執、頑迷さ、偏屈な思い込みのまま地獄に落ちて、今更「寒い寒い、助けてくれよ」とはあまりに虫が良すぎです。信じなかったのはあなたじゃないか。あなたは死後の世界などないと言っておきながら、どうして寒くて苦しんでいるのだ?と問うてやりましたら、「私は地獄に落ちるようなことはしなかったのに!」と逆ギレです。呆れてものが言えません。これでは閻魔様の判決が間違いだと言っていることになります。閻魔様は神仏ですので、神仏の判断にイチャモンを付けているのです。天に唾するとはこの事で、バカも休み休み言えと……。 無知の極みです。今の地表人類を見ていると、こういう方は多いのではないかと思えますが・・・。 ともあれ地獄に落ちるようなことはしなかったなどと言うこと自体が自分自身に対する甘えであり、自分自身が見えていない証拠ではないか。
凡そ、「私は天国に行ける」などと思っている者に限って、他人様に迷惑をかけたことや世話になったことはきれいさっぱりに忘れているのかと思います。どれだけ他の人の世話になって生かされていたと思っているのか考えろと言いたくなります。

数日前の、あまりに腹立たしいことでしたが、ここの認識はとても大事かと思いブログにアップしました。

全ては自業自得です。何が神仏の光であるかはよく気をつけて過ごしたいものだと思います。チョウチンアンコウの提灯に釣られないように。
あの世ことと転生の認識は大事です。

南無遍照金剛。
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Category: 心の言葉◆Words   Tags: 地に足をつける  天国  地獄    祈り    

悪魔 と呼ばれる者

ビュー(夢)での更新です。

悪魔がやってくるという。
人々は恐れ慌てふためいて世の終わりを叫んだ。
見ると空の雲間が開き、まばゆい光が差し込んで彩雲が現れた。その彩雲の乗った白衣を着た人物と、その後ろには大軍がひかえているのが見えた。
驚くことに、地に光が射しこむや陰がウネウネと動いて苦しんでいる。そして陰はネバネバした闇に変化して断末魔の叫びと共に霧散した。
彩雲の主はミカエル:雍主日子命であった。現れたのは言うまでもなく、神々とその軍勢であり、悪魔ではない。
とするならば、人々が「悪魔が来る」と恐れおののいていたのは神々のことであったのである。

なるほど、悪魔からすれば自分たちを滅ぼすに来る神々は「悪魔」に違いない。

神々の眷属のひとりは言われた。
「一つのモノに2つ名があり。しかしてその2つ名は同じことを意味しない。それは麦と毒麦の話と同様に、注意し分けねばならない。」

私は意味を理解しかねていたが、言葉はさらに続いた。
「上は下で下が上である。 天国は天になく、地の中心にあることを知れ。
地表は«世界» の底である。
汝らは立っているのではなく、ぶら下がっているのである。心一つで足は地を離れ魔界の空へと吸い込まれるのである。汝らが見ている空は魔界の更に底の底へと«落ちて»いるのである。故に汝らは常に危うい状態であることを知れ。

見よ。我らのことを《悪魔》と呼び恐れる者たちを。 彼らと我らのどちらが真に«悪魔»であろうか。
光に苦しみ消える闇は神であろうか。

悪魔は自らを悪魔とは思ってはいない。悪魔には悪魔の《正義》がある。正しいと思うことを«正義»という。しかしながら同じ«正義»という言葉にも表裏あり。毒麦は毒麦である。よく目を凝らし分ける目をもて。」

こう言われている内にも、光はあまねく大地を包み、闇はウネウネと苦しみ消え去るのが見える。


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