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自転車、アート、カラフル、キレイが好き。切り折り紙探検隊。

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Category: 日々雑感   Tags:  内観  祈り  教育    

下界のバカ騒ぎも内観の訓練に

バカが高じて収拾がつかなくなっている地上世界の話です。
何度も書いていますが、こんなおバカな世界は破滅以外にありません、
日々自己内観をし、せめて自身の周辺だけでも穏やかに送ることが大切です。



多くの場面で日本という自国の言葉や文化を理解できていない人が多くなっているようです。
日大アメフト部の悪質なタックル事件も、監督のバカさもさることながら、やってはいけない卑劣な行為と理解しつつも実行した選手のスポーツマン精神の欠如は見過ごせません。選手自体は反省を込めて真摯な姿勢で記者会見をし、それ自体は評価されるものです。まだ若いので、よく反省をされ、しっかりと立ち直っていただきたいところです。

このところいろいろな番組をネットで視聴しておりますが、反アベ側の言い分にはかなり無理を感じます。
私は安倍政権を支持するものではありませんし、種子法、外人受け入れ、働き方改革で残業100時間云々など、容認できない法案がてんこ盛りです。
野党はモリカケを一年以上しても証拠を挙げきれず、ただのアタリヤのような雰囲です。挙句には疑惑のある人に証拠を求めるという、バカの極みです。負け戦で、負けた後もギャンギャン吠えているだけです。


↓動画で東京МXテレビによる検閲について上念氏が説明されています。
これは今の放送業界の氷山の一角にすぎません。
日本は内部工作員が溢れており、それを粛清しないと事は大きく運びません。
テレビなどボケーっと見てたらおバカの世界に洗脳されますので、意識をして見ることが大事です。



テレビでもネットでも、画面からもいろいろな感情を感じられます。
画面を見ていて、自身の内に湧いてくる思い、感覚をよく分けるようにしましょう。
おかしな情報、悪意あるものは、画面からも嫌な感じ、おかしな怒りや思いが伝わってきます。
良い情報、世のためになるようなものは、画面から心地よさや悪に対する怒りなどが感じられると思います。
テレビでもネットでも、そしてラジオでも、そういうことを意識しながら視聴すると、自ずから自身の内面の動きを感じ取れるようになってきます。


何事も意識化することなしに磨かれません。
意識を向けることは、愛の実践と思い、小さなこと、短時間からでも行うことが大切です。
無理なく、それでいて意識的に行うことに実りはついてきます。

南無遍照金剛。

天使と悪魔

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Category: 日々雑感   Tags: 教育  育児    内観  

0か1の世界 ~Curiosity killed the cat ~

刺激を求める心は破滅に導く。

4月末ごろに「来た」言葉です。

パソコンは電子計算による二進法、0と1によって動いています。
これは両極端ということで、中庸とは異なる世界です。
AI に判断をゆだねるということは、どんなにデータを累積しても、最終的には0か1の結果に導くということです。
何が言いたいのかというと、
AI は人類を滅ぼすということです。
【今回の話と似た内容は以前にも書きました。こちらです→人工知能



人がいなくとも自然は自己再生していきますが、これを左右する力があるのが人間です。
しかも人類の行動には一貫性がありません。 これはAIが一番苦手とするものです。
0か1しかなAI にとって、これに対する答えは殲滅か完全な支配下に置くかしかありません。
人間を駆逐しないなら、人間を奴隷として使えるようにするはずです。
AIの完全コントロール下におき、AIのメンテナンス役や情報収集装置として隷属させるでしょう。映画『マトリックス』の世界です。



話は飛躍しますが、少し考えていただきたいのが、パレスチナやシリアなどの紛争地域のことです。
彼らにとって、何事もなく一日を過ごすことは奇跡に近いはずです。
それゆえ、無事に一日を生き永らえたら、それはもう神仏のご加護であると感謝もするでしょう。
一方日本では、何事もなく一日を終えることにどれだけの価値を感じられるでしょうか。
これは初期入力値のレベルの違いです。

刺激を求める心は誰にでもあります。
でも、刺激を求めて、それを満たされると、次はもっと刺激的なものを求めていきます。
これは刺激に対する耐性ができるからでもありますが、逆に言うと感覚がマヒしてくるとも言えます。
刺激に対する耐性がどんどん上がってくると、数世代の内にその刺激がどれほどの過激なものになっているでしょう。

0か1かというのは、パラメーターです。
初期入力が正か悪かです。
人間は、これを調整する力を本来有しておりますが、簡単に洗脳されます。今の地球表面界がそうなっています。
初期入力値が0、マイナスであれば、進むほどに闇に向かいます。
一方で入力値が1→よき発展であれば、進むほどに光の世界に向かいます。
人の心も一進一退ではありますが、最初に思った気持ちが0か1か、これは非常時大切なことです。

宝石水


当ブログではいつも自分の心を見直せと書きますが、
これは、自身の内にある刺激耐性を見つめ、認識し、どこまで許容するのかを探る作業でもあります。
食欲が抑えられない、性的な刺激を抑えられないなど、日常生活やテレビなどでも日常茶飯にそのような話があります。
それもこれもすべて自己認識が基本的に存在しなくてはいけません。
自分を見つめる「覚めた自分の目」です。

それを意識しないうちは、いつまでたっても暗闇の中にさまよう状態、迷える子羊です。

何かを感じる、心が動く・・・そういう時に、ふと自分自身の状態を観察すること。
そういう習慣をもつことが、これからの時代にはたいへんに重要です。

座禅

自分を見つめる第三者的な自分を持てないうちは、いつまでたっても「不思議絵の階段」を上っています。 【関連ブログ記事:タイムループ
私はこれを、時間の輪の中に閉じ込められた状態と言っています。
いつまでも同じことを繰り返しているのに、本人は向上していると思い込んでいる状態です。


いまの地球は魔界です。
よく自分自身を見つめ、それが本当の自分の意識なのかどうかという選別も必要な時代です。


南無遍照金剛。

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Category: 日本の面影 Glimpses of Japan   Tags: 道元    内観    育児  教育  子育て    

道の元をたずねること

高校時代から承陽上人:道元さんのことが気になっていろいろ本を読みました。ZEN というのは多くの国で注目もされましたが、やはり偉大な方だと思います。

道元というのは、道の元→仏教の元、つまりはお釈迦様が説かれた仏教本然の姿に還れと説いた方です。

・かならず従来の幣衣へいねを脱落して 仏祖正伝(ぶっそしょうでん)の袈裟を受持するなり・・・『正法眼蔵 袈裟功徳』

道元さんを思うといつも連想するのは、覚鑁上人様のことです。この方も元の道を説いた方です。
覚鑁上人様も高野山の腐敗した仏教に呆れて立て直しを説きました。そしてそれが元で利欲に溺れたバカ僧侶共に殺害されそうなりました。今のこの世のことはすべてこの繰り返しで、バカが高じて神も悪も理解できないくらいに退化しました。一番悪いのはもちろん民をスレーブにしようとした為政者共です。極論すればカネと文字が諸悪の根源です。カネは人の欲を煽り、自由を拘束します。文字は嘘の流布、権威をもって民を洗脳します。

蓮 不忍池


題目を唱えると救われるとか、百度参りすれば願いがかなうとか、どこの神社に行けば願いがかなうとか言うのを聞きますが、そんなことはありません。そんなことで救われたり願いがかなうなら、すでに世界中の人が願いを叶えているはずなのです。←他力本願。

信者を増やすために勧誘、チラシ配り、街頭でパフォーマンス・・・こんなことをしている自称宗教団体は宗教ではありません。
仲間が欲しければサークル活動、クラブ活動でもしていろと言いたいです。
チラシをポストに入れるのも迷惑です、本人は霊感がないからわからないのでしょうが、邪気にまみれたチラシを投函されると波動が狂って体調がおかしくなります。訴えてやりたいくらい迷惑なのでやめましょう。見えない被害は起きているのです。
街頭パフォーマンスでそんなに目立ちたいなら、街頭で演奏している人や曲芸などをして頑張っている方々のように、自分の特技や技能でやればいいのです。神仏を見世物にしていることを思うべきです。宗教を誇示したいだけの権威欲か、「私いいことしてるでしょ~」と酔いしれるナルシズムか知りませんが、いずれにしても見苦しいのでやめましょう。
そもそも勧誘しないと人が来ない宗教とはなんなのか、この点をよくお考え下さい。今はネットで裏情報も見れる時代です。自分の属する宗教がおかしな事件に関わっていないかくらい簡単に検索できます。

カネで組織の役職を買ったり位を与えたりお布施をせがむバカ宗教もありますが、そんなものに関わるのはその程度の者だということです。やはり心の向きが問題なのです。神仏を食い物にする輩にはまことに頭に来ますし、そんなものに騙されている者はもう少し考えなさいと言いたいです。偽宗教の消滅を祈願します。

駒木 諏訪神社


なんどでも書きますが、信仰というのは一人ひとりが、自分で神仏とつながる努力をすることです。集団でどうこうするものではありません。
神仏と繋がる努力というのは、己自身の心と向き合うことでしか達成できません。日々の生活の中で様々なことと遭遇しますが、そのことひとつひとつが己の心との対話です。物事に遭遇した時に自身の心がどのように動いたのか、何を感じ何を思ったのかが大切です。
その時は無我夢中で動いていたにせよ、後から少し思い返すことはできます。これが日々の修養です。
足下に極楽あり、足下に地獄あり。

自分自身の心を探求すると、そこには神仏からいただいた光があります。
道の元をたずねるというのは、己の中にある神仏からの光を求めることではないでしょうか。

道元という文字からは、いつもそのようなことを思い起こされます。
よき光と共にあれますように。
南無遍照金剛。



いつも紹介しますが、アミの本はやさしい文章で宇宙の愛のことが書かれております。
己自身の内観の助けにもなる、とてもよい本です。
↓ご興味があればぜひ一読してみて下さい。





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Category: 日々雑感   Tags:  育児  教育  介護  思い  自己認識  内観  

病を招くも自分自身

病の話です。
人体を苦しめる病気の元はいろいろですが、肉体に直接作用する原因の多くは病原菌やウィルスによるものと思います。同じ環境にあっても病気になる人とならない人がいるのは、人間は単に肉体のみで生きているからではないからです。薬にしても、同じ病原菌なら同じ薬で誰もが効果をあげることができるはずですが、誰にでも一葉に効く薬というのはありません。薬の効果も人それぞれです。

日陰青花



病気には誰もなりたくないはずですが、病気もまた因果応報です。

人体に巣食う病原菌やウィルスは、何もその人を苦しめようとして増殖するわけではありません。そこに住みやすい環境があるから住み着くのです。人間にはいろいろなシガラミがあり、必ずしも住みたい場所に住むことは叶いませんが、人間以外の生き物は、住みやすい場所に自然と住み着きます。

これを考えてみると、病原菌やウィルスの侵入を許したのは自分自身であり、自ら門戸を開いて招き入れたものだと気づきます。そして招き入れた病原菌やウィルスの住みやすい環境を提供して増殖させたのも自分自身・・・ということになるわけです。自ら招いて心地よい環境を提供しておきながら、さぁ大変だと言って薬を飲んで戦いを挑んでいると言えば、想像するとちょっと滑稽です。

病原菌やウィルスには自らお帰りいただくのがいいのかと思います。その為には、心身ともに、病原菌やウィルスが住みにくい環境づくりをしていくのがいいのかと思います。


天罰が下るとはちょくちょく耳にしますが、天は罰など下しません。すべては自身の心、言葉、行動が巡り巡って返ってくるだけですので、天罰は己自身が下しているのです。 そしてその巡りは、今生のみならず、次の転生時にも適用されるわけですので、自分が何をした!などと思うのは、思い上がり甚だしい天に唾する行為でもあります。


余談ですが、私の関わりのある高齢者の方の雰囲気が、昨日までとは一変していました。
いつも眉間にしわを寄せて重苦しい雰囲気の方でしたが、眉間の皺が取れ顔色も輝いて見えました。どうしたのかと思っていたら、お話の最中にこんなことをおっしゃっていました。いままで会社の要職についていろいろとやってきたが、家庭においても同じように威張って妻や子どもに命令口調でものを言っていた自分に、急に気がついた。自分が見えていなかった。自己認識って大切だなと思うようになった・・・・と。
人の気づき、心のパワーがどれほど凄いか、改めて体験させられました。

病気と自分→外界と自己内世界への認識はとても大切です。
佳き光とともにあれますように。
南無遍照金剛。


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